私の投資履歴書~インデックスを添えて~

モノクロさん家(チ)の運用記

全世界への長期投資で地味かつ着実に資産が形成される(予定)

社会人のプチFIREには価値があるかもしれない

ふとFIREの疑似体験、いわゆるプチFIRE、その実一定期間のプー太郎生活を考えました。ふざけた話ですが、実際は価値があることかもしれません。

 

社会人になってから最大何日連続で休めるか

最近読書を再開したのですが、自分がやりたいこと、過ごしたい生活って何だっけと哲学問答しています。その中で社会人になって10数年、長期の休みというのはなかったしこれからも無いだろうと思いました。

よく大学生が最後の自由時間、といった類の話があります。おじさん臭い説教ではありますが、確かに考えてみると卒業後就職して凡人サラリーマンをやる場合、ストレートには定年までの40数年間、1年は当然ながら1か月丸々休むという機会は普通無いのではないかと思います。外国のようにバケーションを挟むビジネスマンの形もあるかと思いますが、この国で、なのか分かりませんが1か月仕事せず自由な時間を作るというのはなかなか容易にはできそうにありません。

業界などによりますが、2,3週間はありえます。年末年始とかGWとか、公休に繋げて伸ばせれば可能と思います。しかし1か月となるとなかなか難しいのではないでしょうか。(ましてや複数か月...)

そこで、もしここで1か月丸々、例えば沖縄とかに家族ごと飛んでしまうというのはいいアイデアなのではないか?そんなふざけたことを考えました。

 

”今”疑似体験することの価値

今のご時世、転職が一般的なので転職に絡めると実はそういった時間が作れる可能性があると思ったりします。有給消化で1か月使うのもあるでしょうし、入社を待たせることもできるでしょう。いずれにしても”今”プチFIRE状態にする術はあるのではないかと冗談半分で思った次第です。

私は複数回転職していますが、初回の転職時こそハードルが高く思えたものの、単純には慣れで転職そのものには無用なハードルを感じなくなっています。プチFIREするために転職をするという破天荒なことは当然考えませんが、もしタイミングや状況が揃えば、そういう取り組みを”今”できるのは確かであり、何かワクワクした気持ちもあって少し真面目に考えたりしていました。

投資をする人の中で「家族との時間」を目的要素の一つとして挙げる方は多い印象があります。しかしよく考えると、家族と過ごしたい、という時の家族、つまり子供って幼い”今”だからこそ、というのはないだろうかと思うのです。高校生になって生意気になった息子と四六時中一緒に居たいと思うのか?それ自分にとっても本人にとっても苦痛じゃね?ということですね。

要するに、家族との時間を作るために投資をしていて、その果実を得るために10年かけていたら目的だった家族はもう過去のものになっているという事態になるのです。だから実はFIREしたいのは”今”であって、10年20年後の50,60歳の自分ではないんじゃない?という視点を何だか物寂しく思ったりしました。

例えば将来移住したいと考えている。それを”今”やってみる。そうすると実はそんなに理想的じゃなかったと思うかもしれません。でも別に完全に移住する訳ではないから、期限が来ればまた元の所に戻ってきます。それがミソかもしれません。

良くなければ元の生活に戻れる。そして別の在り方を考える。

良ければ本当にそうなれるように仕事も含めて環境整備を進める。

いずれにしても将来に向けて建設的な発想に繋がりますし、そもそも”今”やったことは家族の記憶に一生残るでしょう。規模のデカい旅行だと思えば、終始楽しくない、最悪と思う時間にもならないでしょうから、多少飽きたというような感想はありつつ、結局は思い出としては何にも代えがたい記憶にはなってくれるんじゃないかとも思います。とにかく「疑似的な」という事と「今やる」ということに結構価値がありそうです。

 

そうそうやっている人はいない

実際問題、未就学児を抱える中でそんなことをやっている場合ではないという面はあります。経済的には担保してからでないと無責任だと思いますし、その点でやりたいからやるわとはならないし、ましてや共働きであれば自分だけが1か月プー太郎をやって家族ではどこもいけないとなります。だから今の状況や環境に大きく影響を受ける取り組みです。

しかし、例えば30代でそんなことをやっている人ってそんなにいないだろうと思います。1か月移住生活みたいな馬鹿な事を働き盛りの時にできるような人、そんないないんじゃないだろうか。もちろん人と違う事をするためにやるわけではないので他人のことはどうでも良いのですが、所謂履歴書に穴が、という話に関しては穴の理由が理由なだけに実は変な穴には見えないのではと思ったりもします。

私のことなのでかなり現実的に手当てしてから実行することになると思いますが、可能な方法を考えれば実はできるということに気づいたのは良かったかなと思います。当然、人にお勧めはできませんけど...

 

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市場急落の中で得た学び

SVB破綻から相場は荒れに荒れました。足元では一旦落ち着きを取り戻していますがこれからどうなっていくかはまだ分からないことも多いです。その中で、今回の急落で学んだことを記録しておきます。

 

投機の失敗

今回の急落に際して投機に乗り出し、見事に失敗しました。

 

shiawase-investor.hateblo.jp

業種は金融で、エントリーして数時間で損切りして撤退しましたが、一旦落ち着きを取り戻す中で敢えて買い付けた銘柄をトラックしたりしています。結果的には翌営業日にさらに下落し、本日大きく戻しているもののそのまま保有していたら数十%の含み損となっている所でした。あくまで結果論なので褒められたものではありませんが、損切りして良かったということになります。

 

今回の急落で学んだこと

1.投資しているものを理解していること

エントリーした直後は面白いように上昇しましたが、途中から一気に下落に転じて頭を悩ましました。例の如く、元の値段に戻るかもしれないと淡い気持ちが度々頭をよぎり逡巡しましたが、最後は恐怖と理性で損切りしました。

そもそもなぜ恐怖を頂いたのか、それは投資しているものが理解できていないからです。今保有している銘柄でもしっかり十分に理解しているとは言えません。言語も違うし土地勘もないものを理解することがそもそもハードル高くありますが、それでも何とか時間をかけて理解を深めてはいます。しかし今回投機としてエントリーした銘柄は殆ど何も分かっていなかった。故になぜ下がるのか、これからどうなるのかが本当に分かっていなかったと思います。合っている、間違っているは当然あるものの、自分の中で仮説とその根拠があればそれなりのグリップは働くのですが、分からないことが多すぎると先行きが全く見当つかず恐怖を感じやすいと改めて思いました。

投資しているものを理解していることは、市場の急変において冷静な判断に繋がりやすいです。結果的に間違っていて売った方が良かったという事もあると思いますが、売る売らないどちらにしても、なぜそうしたのかを自分で振り返ることができるのはかなり大事なことのように思われます。

 

2.心の平穏は平時に確保する

1にも関連しますが、市場の急変に際してその場で平穏を確保するのは遅いということです。平時の段階から厳選して自分の投資をしていれば、急落に見舞われてもそもそもポートフォリオへの心配はそれほど大きくありません。目の前の事態がダイレクトに関係がある場合は見直しが必要ですが、普段1をやっていれば突如として恐怖に苛まれて右往左往することは少なくなるように思います。

実際に市場が急変してから平穏を確保するのではなく、平時に確保した平穏しか急変時には機能しないと改めて思いました。

 

3.準備していないことは実行しない

今回の投機ではその場のアイデアを短時間で形にしました。要はその場で銘柄をピックしてエントリーしたのです。普段見ていない金融株に対して、ぱっと見の簡易な情報だけでエントリーしたため、何の準備もしていない中で突然急変ど真ん中の戦場に突入することになりました。結局これも1に関連しますが、咄嗟の行動も普段考えているからできるのであり、突然思いついて平時にノータッチな領域で勝負をかけるのはまさに竹やり突撃であり、まさに投機も投機、すべては運に任せるような形になってしまうと改めて思いました。

 

今後に活かす

幸いにも今回損切りができたことで甚大な被害には至りませんでした。失敗を振り返るのは恥ずかしいことでもありますが、これを今後に活かせれば少しは投資が上手くなるかもしれません。振り返ると低レベルなことをやっているなと自分でも思うわけですが、そういう行動を取るのが人間なんだと少し引いて見ることにしています。

恐怖や甘い誘惑に負けるのは仕方がないことかもしれません。しかしそれを分かっていれば、その対応も自ずとできるようになるかもしれませんね。今回の損失を授業料にできるよう、これからも折に触れ振り返りたいと思います。

 

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