コロナから始まった世界の変化は、目に見える形で、目に見えない形で私たちにも影響を与えています。
その後にはウクライナ侵攻が始まり、SNSをはじめとしたテクノロジーの進歩によって救われる情報もある一方で、凄惨な場面を目にすることも増えました。
そうした中で私の中の変化として、著名人の死もあるように思います。
私は投資を道具に使いながら、楽しく幸せに生きていきたいと今はそう思っています。
コロナ禍の功罪
コロナはテレワークの普及や企業のDX、デジタル化などを問答無用で推し進め、ビジネスの観点では10年、20年の時間を前倒しするような良い面もあったと思います。
一方で、引き起こした多くの禍は、目に見える形で、目に見えない形で私たちに影響を与え、決して病原菌だけではない負の影響も感じるところです。
テレワークの普及は業務の効率化、通勤時間の削減、家族との時間を増やしたかもしれませんが、家で一人閉じこもり人とのつながりを弱めた負の側面もあるでしょう。
私も本業で上手くいかず心の病にかかりかけるなど、身をもって人とのつながりやその中で生まれる創造力に改めて思いを向けるなどをしていました。
ウクライナ侵攻で心に訴えかけた何気ない幸せ
ウクライナの惨劇は紹介するまでもなく全世界の脅威、悲しみとなっています。
民間人への攻撃も報道されるなど、凄惨な状況はSNSを中心としたテクノロジーの発展によって鮮明に、リアルタイムに目に届くようになりました。
これは世界のあるがままを見ることができるようになった一方で、前述の通り籠りきりとなった生活において視聴する側の心をまた引き落とす引き金にもなったように思います。
侵攻される前まで、何気なく過ごしていた生活が破壊され、家族と引き離され、また命を落とす事態に心を痛めずにはいられませんでした。
決して戻ることはない幸せの喪失に思いをはせる度、私もまた心に大きな負担をかけることになりました。
悲しい情報の果てに
著名な芸能人の方々が命を絶つニュースも目に付くようになりました。私も好きだった方は当然ながら、普段は気にも留めなかった方も改めて報道されると悲しみを覚えずにはいられませんでした。
経済力、容姿、才能、羨望、名誉、栄誉、尊敬・・・そんなものを手に入れてもなお、耐えきれないほどのツラさがあったのだろうと思うほかありませんが、それと同時に「幸せとは何だろう」と考えずにはいられません。
私は比較的本業に時間をささげてきた人生を過ごしており、家族との時間が増えたのも本当に最近のことです。幼い子供と時間を過ごす度、自分にとって本当に悔いがなく、楽しく、幸せな人生、時間の過ごし方とは、と考える機会が増えました。
普段生活している中で悔しいと思う気持ち、うらやましいと思う気持ち、得たいと思う気持ち、その中心にあるのはまさに上記の「経済力、容姿、才能、羨望、名誉、栄誉、尊敬・・・」だと思います。一方で、彼らの死は決してそれらでは解決できない何かがあるのだということを語りかけているように私は捉えています。
投資を道具に楽しく幸せに生きること
特に明快な答えがあるわけではありません。
私は投資が好きです。損をすることの方が多いくらいですが、個別株も好きだし、仮想通貨も好きです。一種の趣味ですが、根本的には資産形成のためにやっていることです。
なぜ資産形成をするのか。
私が描く資産額は、決して必要最低限度の生活を送るに足る程度の金額ではなく、ある意味必要以上の金額です。老後のため、子供の教育費のため、必要最低限ではなく上積みを狙っての金額です。
それでも、その心は「家族で幸せに生きていくため」であると再認識しました。
妻との限りある人生を楽しむため、子供たちの豊かな未来を引き寄せるためのお金です。
投資は手段、あるいは道具でしかなく、その結果として得るもの、目的は「家族で幸せに生きていく」ことにあります。
1億も2億も必要なわけではありません。(もちろんあれば嬉しい)
悲しい現実は、物事お金だけでは解決できないことを示唆する訳ですが、それでも何かを得るために活用することはできるはずです。
私は自分の人生を生きなくてはいけない。誰かに羨ましがられる人生を生きることが目的ではない。
そう思いつつ、日常生活では難しい場面も多いことは事実です。人との競争をなくしてしまったらこの世の中の豊かさは相当数失われてしまうでしょう。
それでも自分が納得して死んでいける人生を求めていきたいと私は思っています。
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