私の投資履歴書~インデックスを添えて~

モノクロさん家(チ)の運用記

全世界への長期投資で地味かつ着実に資産が形成される(予定)

投資を単体ではなく複合的な一要素として人生に取り込む

FIREブームから相場の悪化によって一気に意気消沈へ移り変わりましたが、極端なFIRE論ではなく、人生設計として真面目に考えるともっと面白いかもしれません。

 

火が消えそうなFIREブーム

相場の悪化で資産額が大きく減るなど、FIRE生活に急変を来して”卒業”の名のもとにFIREを断念したとの話題が一時期盛り上がりました。妬みも僻みもあるでしょうし、本質的な批判も行き過ぎた罵詈雑言もあったと思います。また当事者にも従前の発信内容で逆なでするものもあった可能性はあると思うので、一概にどちらサイドが良い悪いとも思っていません。

いずれにしても、雨後の筍のように本屋の経済コーナーを埋め尽くし、あっちの本もこっちの本も匿名のハンドルネームで溢れたFIREブームは、それ見た事かと一気に意気消沈した感は否めません。労働を極端に蔑んだFIREはもう終わった話のように思われます。

 

複合的な要素としての労働、投資

私はFIREについては人の生き方の形態の一つであるように思えます。それが所謂大金持ちのFIREでも、極めて生活コストの低いFIREでも、ダウンシフトを伴ったFIREでも何でも良いのですが、どれもその人の価値観に沿った一つの生き方なんだと思っています。

一部には極端に労働を蔑んだ論調があることも知っています。”社畜”などのキーワードを伴って語られますが、基本的にこういう話には賛同できません。もちろん社会人人生が努力のみでどうにかなる世界でもなく、不運にもハラスメントの類や就職した企業のせいで人生ぶち壊し、精神が病んでしまって健全な状態で働けなくなってしまう方もたくさんいます。そういう不可抗力はやむを得ないと心底思いますが、単にやりたくないというだけで労働するのがバカだと言うような話には同意する所はありません。仕事には痛みや苦しみ、悩みも伴いますが、仕事でしか得られない喜びや感動もたくさんあると思います。健全な体を持ちながら、そういうものに出会えなかったのは不運であると思います。

しかし、一方で労働で勝ち進んでいくことだけが人生であるとも思われません。グローバルの最前線でビジネスを勝ち抜き、多額の報酬と社会的栄誉に与れる人間は一握りであり、圧倒的多数はそこに至る長い道のどこかで自分の限界(と思うもの)にぶち当たって満足するほかないのも事実だと思うのです。みんながみんなイーロン・マスクにはなれないし、その意味で金を持ってる持ってないの規模感もグローバルで見れば所詮その程度という事になってしまいます。

年収がいくらになっても、資産がいくらになっても上には上が居るのであり、その競争には際限がありません。

サイドFIREというのは私の中では仕事のダウンシフトであると理解しています。FIREかどうかというより、その仕事のダウンシフトという事象に未来を感じています。今後ジョブ型がどこまで浸透するか分かりませんが、ジョブで規定された世界観では今とは違ったキャリア観も十分考えうると思います。具体的には管理職にならない、とか現状維持という積極的なステイも職務遂行が伴えば全く問題なくできるということです。(会社に滞留できるかはまた別ですが...)

ともかく、自分はどう働くのかというグラデーションの中でのポジショニングと、経済的な側面を支える投資は複合的に考える要素ではないかとふと思いました。労働だけでも投資だけでもない、互いに絡み合った要素として統合的に考えていくと、実は面白いのかもしれません。

 

"自分の"人生を組み立てる

当たり前にやっている人はたくさんいますが、私のように自分の意思が弱い人間は意外と多いのではないかとも最近思います。何となく線路の上を脱線なく、時に人より少し上手に走って来てそれなりの良い所に辿り着い”ちゃった”的なある意味運のいいタイプです。

線路の上を走っている実感をぼんやり感じながら、それでいて線路が無い所ではあたふたしてしまって線路を求めている自分。年を重ねるほどにそんな場面に遭遇する頻度が高まっているように感じます。

実はもっと自由に生きて良いのではないか。脱線して部品の一つや二つぶっ壊したら良いのではないか、そんな思いも抱えながら線路の上を走っているわけですが、これは青い鳥症候群かもしれません。でもなんか今のままではいけない気もする、そんな中高生みたいなオジサンです。

いずれにしても、投資で勝つには、労働で勝つには、という単体でののめり込みではなく、人生という大きなタイムラインの中でそれぞれの要素がどういった形で絡み合うのが良いのか、その結果どこにたどり着きたくて、などと考えると、本当に投資でリスク過剰の爆益が必要なのか、労働に過剰な奉仕が必要なのか色々と考えが出てくるかもしれません。

資本主義の歯車として立派な役割を担っているからこそ、そこから少しズレてみることに億劫になるのかもしれません。

 

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