資産とは死ぬまで売らないものである、そんな言い回しを見ました。違うんじゃないかと個人的には思いましたが、転じて「永久保有」を能動的な行為として捉えるのもこれまた違和感がある今日この頃です。
「永久保有」は私の意志か?
「永久保有」という単語は個人的にあまり好きな部類の言葉ではありませんが、長期投資とセットで色々使われているのをよく目にします。元はバフェットの「保有期間は永久」から来ているのだと思いますが、所謂”握力”の文脈でこの「永久保有」が語られるのは誤読なのではないかと思ったりします。
バークシャーの保有銘柄でも最近で言うとTSMCなどは比較的短期に売られてしまいましたし、小さいものも含めればこれまで数々の銘柄が売られてきたと思います。最近の投資判断を90歳超えた老人が全てやっていると個人的には思わないのですが、それでも「保有期間は永久」と言い出した割には結構売りますね、というのは皆遅かれ早かれ一度は感じることじゃないでしょうか。
私もバフェットフリークではないので彼のことは置いといて、所謂「永久保有」という単語は能動的な行為を指すものではないというのが、最近の私の整理です。
つまり、相場がどうあっても何が起きても握り続けるという”握力”の文脈で使うのではなく、保有銘柄が”期待に沿った企業活動と実績を残す限りにおいて”保有期間は永久、つまり売ることは無いという、どちらかというと受動的な行為としての単語だと思うのです。
ファンダメンタル重視というベースがあることを考えても、企業そのものの本質的価値が棄損せず、その時々の相場で売り込まれたり買い上げられたりするのが常である以上、相場が悪かろうが当初想定した企業ストーリー、ファンダメンタルが崩れていなければ売る理由は無いですよね、という捉え方はしっくり来ると思います。言葉遊びみたいではありますが、こういう物事の整理から部分的に切り出すと、「何があっても売らない」となり、転じて「永久に保有する」というガチホ論に至ることもあるかなと思います。
しかし、結局は企業が期待に添わなければ”売る”のが当たり前であり、ファンダメンタルが破壊し瀕死の状態になった企業の株まで”永久に保有する”なんてことはバカげているのではないでしょうか。もちろん、そういうことまでカバーして”永久保有”と言っているのでないことはわかりますが、結果的にも途中で結局売ってしまうのであれば”永久保有”と標榜することそれ自体に対した意味が無いのかもしれません。
長期的には皆死ぬ
あたかも優良企業はいつまでも栄えているように捉えてしまいますが、過去には世界を制した数々の企業は今はもうなかったり抜け殻のようになっているのは良くあることです。ケインズの言葉を借りると「長期的には我々は皆死んでいる」のです。
投資家側も死にますし、法”人”である銘柄の方もいつか死にます。栄華を極めれば衰退しますし、そういう大局的にというか、これまで何千年もの間繰り返されてきた大きな枠組みというのは本質的に抗えないものではあると考えます。
何やら「永久保有」という言葉には魅力があるようですが、結局ダメになれば売るのであり、いつかはダメになるのだと思うと、少し肩の力が抜けるような感覚も感じることが出来るでしょう。
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