私の投資履歴書~インデックスを添えて~

モノクロさん家(チ)の運用記

全世界への長期投資で地味かつ着実に資産が形成される(予定)

FIREの中身を自分に問うフェーズになったと思う

下火になったように思えるFIREブームですが、個人的には中身を個人ごとに問うフェーズになったのかなとも思います。

 

FIREで一括りにされたキーワード

FIREブームともいえる一つの現象は、インフレ抑圧のために訪れた下落相場で下火になったようにも思われます。勿論まだ取り組んでいる人もたくさんいるだろうと思いますが、実際に投資を止めてしまった人もこれまたたくさんいるかもしれません。

私は基本的にFIREを目指してはいませんでしたし、少なくとも労働に対する過剰な蔑みから発生する当てつけとしてのFIREには否定的です。しかし、頭のどこかでFIREのような概念は留めていますし、逆に生涯現役で働き続けたいかと言われると「うん」とも即答できません。そういう仕事に出会っていないからでもありますが、個人的な志向としてもビジネスで名を残したいというモチベーションがあまりないこともあります。

いずれにしても、日々(というか給与が原資なので毎月)投資に励んでいる中で、道中に山あり谷ありとなりつつも最終的にはそれなりの資産になるであろうことは予見される所です。勿論働けなくなったり、生成AIに本業が破壊されるようなことになれば根本から話は変わりますが。

仕事に熱中していた自分の過去も当然知っているので、これからまた熱中できることも十分あり得るとは思いますが、仕事で成果を上げるという事は少なからず収入につながるわけで、今の自分の消費行動が変わらないとするなら、恐らく積み上がるのは資産の方で所謂負債とか消費財ではないとは言えます。そんなことを考えると、個人の人生として必要な金額以上に積み上がる資産に何か意味があるんだっけ、と考えたりします。子供もいますから相続させるのでも良いのでしょうが、そんな大金を残して死ぬのであれば、妻との時間を過ごしたい欲求を貫徹して資産の目減りを起こしてでも働くのをやめたいなと思わぬでもないのです。

というよりも、親の意志として子供に残す金額を踏まえても残りそうな資産ができる”可能性”があるのが正直な所(もちろん未来は全く分かりません。)で、効率だけ考えれば無駄な資産を作るために今の時間を使いたくはないという気持ちがどうしても出てきます。

一定批判もある同書ですが、私は非常に頭を殴られる感じで気付きが多かったです。無駄な資産という言い方もこの本を受けての感情ではあります。

翻って、FIREと言っても色々種類があったと思います。ファットFIREとかサイドFIREとか。中身の詳細まで存じ上げませんが、FIREという単語を軸に類型化・細分化される所までがFIREブームだったのかもしれません。

 

自分の生き方を具体化するフェーズ

個人的にFIREとは生き方の話だと思っています。人に誇るためにリタイアするのも良いし、極限までの節約で生きていくことそれ自体を確保するリタイアでも何でも正解だと思います。その人の人生であり、外野からボケるだなんだと言われる筋合いは無いという事です。

当初細分化などされていなかった印象がありますが、FIREが様々分岐していったのは概念を自分の人生に落とし込んだ時、単純に1つの型だけでは当てはまらなくなったからだと思います。今や理解が若干難しいFIREも出てきているのですが、総じて私のFIREとはコレ、という事だと思います。

日本に職務型の雇用概念がどこまで浸透するかは未知数ですが、そういった職務的発想になると全員総合職、つまり全員幹部候補といった概念もなくなるので、働くという事に関して自分の人生の希望に照らし合わせて決めていくという事も大事になって来るかなと思います。残業代出ないから管理職になりたくない、というようなことではなく、自分の人生の選択としてそれはしないというニュアンスです。

ここまでFIRE的な概念そのものは広く知られる所となりました。私も投資をしつつ、そういう資産所得で食べていくという発想が無かった(灯台下暗し)ので、FIREブームにはそういう意味で価値があったなと思っています。しかしこれからは単なるブームではなく、そういう概念を活かして自分の人生に実装するにはどういう建付けとあり方が良いのかといった具体策を考えるフェーズかもしれないと思ったりします。単純な批判や賞賛ではなく、極めて現実的な人生設計として考える段階がやってきているのかもしれません。

 

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