一時期ほどではありませんが、労働に対する蔑みの意見があります。FIREの概念が出てから異様に盛り上がりましたが、ある種コンプレックスと他人との比較で優越感や満足感に酔いしれ、劣等感に苛まれる構図は結局労働者と同じだと思う話。
働いたら負け、というより働かなかったら勝ち
「働いたら負けだと思っている」
昔そんなネタインタビューがありましたが、今の時代は「働いてないから勝ちだと思っている」というニュアンスの違いを感じます。
FIREの概念が出てから、一時期”社畜”とあちこちで言われ、そこから脱するためのFIREみたいな言い方が至る所で見られた感じがあります。収入の8割を投資に回して、みたいな時代もありましたが、今は現実的な話が増えてそういう社畜だ、収入のほとんどを投資だ、みたいな話は盛り上がっていないように思います。
しかしそれでも既にFIRE達成済みのような資産持ちの一部では、労働を蔑む意見もちらほらあったりで、社畜の嘲笑みたいなものは一種の闇のように根強くある気がしています。俺は働いていないから勝ちなんだ。そんな空気感を醸し出している人もたくさんいます。
コンプレックスが武器から凶器に変わる時
株式投資に限らず、物事は陰と陽であって反対側にも人が居ることで成立していることが多いというか、ほとんどの場合でそうであると思います。株を買うためには売り手がいなくてはなりませんし、FIREするにも労働してサービス提供する人が居なければ成り立ちません。インデックス投資もアクティブに投資する人が居るからこそ価格が適正化されますし、アクティブ投資家にとっては何も考えずに投資するインデックスがある故に裁定余地も生まれるというものです。
学歴、キャリア、お金、そういうものがない故に投資に邁進し、それらを持っている人より経済的に豊かになっている人もいます。コンプレックスは時に武器となり、努力の源泉となることもあります。
しかし、どこかのタイミングでそれが武器から凶器に変わる時があるように思います。自分は何もなかったが、今やお前たちより持てる者になっているぞ、と。俺は労働から解放されて資産所得だけで自由に生きているから、労働しているお前たちは可哀想だな、と。そんなコメントに現れてくる凶器です。
誰しも多くの人がサラリーマン経験があるわけですから、労働している中で苛まれる他者比較に苦しんだ経験はあると思います。年収が人より高い、上場企業に勤めている、そういう他者比較の中で感じる優越感、満足感、そして時には劣等感を全身で感じながら生きている人も多いと思います。私もそうだったし、今でも無縁ではいられません。
結局、資産をどれだけ持っていても、他者比較の中で自分が優れているとか先見の明があるとか、そういう営みの中で生きているなら資産家でも社畜でも一緒なんじゃないかと思ってしまいます。自分の幸福や存在価値を他者との比較の中でしか見つけられないことは人間として未熟とも言えるのかもしれません。わかりませんけどね。
私は資産を、お金をもっと欲しいと思っています。もっともっと欲しい。けれど、それと同時にそれが自分の収入を補填してくれる程大きくなった時には、他者比較ではなく絶対基準の中で自分の幸福を見つけられる人生でもありたいと思っています。きっとどこまで行っても解脱できません。それが人間の本質的な感情だと思うし。しかしもう他者比較の中で感じる幸福感や劣等感とは別世界で生きていきたいというささやかなわがままを持っています。
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