私の投資履歴書~インデックスを添えて~

モノクロさん家(チ)の運用記

全世界への長期投資で地味かつ着実に資産が形成される(予定)

1億円あったら心は自由になれるか

2025年が始まり、2024年の投資結果に関する記事がたくさん出ています。他人の懐事情は気になるもので、みんなたくさん資産を持っているんだなぁ、なんてまた変な落ち込みをしてみたりします。

 

いくらあったら幸せになれるのか

「お金があっても幸せになれるとは限らない」とはよく言ったもので、本当にそうだなと改めて思います。1億円あったら心が自由になるかと考えたりもしましたが、たぶん今と変わらぬ心持ちではあるんでしょう。

同時に、「お金があれば防げる不幸はある」と言う人もいます。これまた本当にそうだなと思うわけです。

金融資産がいくらあるか、は非常に比べ易い物差しであり、容易に他人と比べられるし数字上の優劣は明確かつ瞬時に分かることから、それで優越感に浸れることもあるし、劣等感に苛まれることもあります。

資産いくらで人生上がりという話もある一方で、どこまで行っても最後はその人の置かれた環境や価値観次第であるので、100万でも幸せな人もいれば、100億あっても不幸な思いの人もいるんだろうと思います。

 

上には上が、下には下が

結局、上には上が居るし、同時に下には下がいることを改めて思います。もう記憶は無くなりかけていますが、私も資産が0円だった時は昼飯だなんだと百円単位で節約して投資していましたし、それが100万円になった時は何だか気持ち良かったと同時にだから何だと思ったりしていました。

2024年の振り返りをするにあたり、記録があるこれまでの軌跡を辿っていたわけですが、気づけばこういう資産額になり、記録を付け始めていた頃は今見れば小額とも思える金額で浮き沈みしていたことが分かります。

あの当時、今の資産額を想像はしていなかった(いつか行くだろうとは思っていましたけど)し、それを考えれば当時の私から見て今の私は劣等感を感じる対象なのかもしれません。今の私は自分より資産がある人を羨ましいと思って見ていますが、過去の自分は今の自分に対してそう思って見ていたわけです。

上に上に行こうという欲望は資本主義の根幹であり、それ故のリターンを株式から得ている感覚なので、この欲望を切り離すことはなかなか難しいものがあります。しかし、この欲望をいつか諦めることは、自分の幸福を得るためには必要ではないかとも思うのです。100万円は大したことがなかった。1,000万円になるともっと大したことが無いように思われ、1億円あっても全然自分は底辺側の人間だと思う。こういう上昇志向のスパイラルからいつかは抜けないと、1億円を2億円に、そして10億円に、と戦いの日々を続けることになってしまいます。

いずれにしても今は無理ですね。昔よりは丸くなった気もしますが、それでも羨ましいと思う気持ち、何だか劣等感を抱えてしまう変な欲望と今しばらく付き合いながら、いつか到達するであろういくらかの資産を持って、自分の人生を終えたいと思います。

 

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