投資は究極的には「運」でしかないと思います。どんな理論も主張も素晴らしいですが、現実問題、最後は「運」です。
投資はギャンブルか
投資はギャンブルでしょうか。半分はNo、半分はYes。そんな気がします。
良くある問いですが、一応投資をしている身からするとパチンコとかとは違うよね、投機と投資は違うよね、とか思う所はあります。ただ、突き詰めていくと最後は「運」だと思うので、ギャンブル性が全くないと言えばそれは嘘だとも思うのです。
そもそも人生そのものが「運」であります。
SMBCの初任給が30万円になるとの報道がありましたが、一方で氷河期世代と言われる50歳前後?の人たちはとことん恵まれません。今更その世代の報酬水準を上げようという機運が出てくるとは思えないからです。
勿論、これだけどうしようもない国である日本ですが、アメリカに生まれていたら病気を経済的な理由で治せず早死にしていたかもしれないし、独裁国家「北」に生まれていたらFIREがどうのこうのと言ってる場合では全然なかったでしょう。その意味では日本に生まれたことは幸運であるのです。
生れ落ちる国や時代によって、自分の力ではどうしようもないことになることは明らかな事です。何せ、明日も平穏無事に生きているかさえ分からない訳ですし、将来は運命で決まっていると思って見た所で、そうである確証がどこにも無く、結局今の自分では明日生きているかが分からないのであれば決まっていようが決まっていなかろうが本質的には同じことになります。
投資は運かどうか、どころではなく、そもそも今生きていることそのものが「運」によって左右されていくと考えることもできるんじゃないでしょうか。
足掻いても変わらぬ変数
私は自己卑下するタイプなので、自分が恵まれているとはなかなか思えませんが、客観的には恵まれていることは多いのかもしれません。
資産も胸張れるほどには無いですが、それでも日本全体では半分より上には居ると思います。それを叶えてくれた相場環境や投資手法、何より入金の原資となる給与は決して恵まれていないとは言えないのかもしれません。
それでも毎日どうしようもないことに悩み、イラつき、嫉妬し、悲しくなりながら生きているのであり、どれだけ足掻いても変えられない変数に心折れそうな時もあるでしょう。恵まれている事、恵まれていない事、それぞれが究極的には「たまたま」そうだったという事以上のことではありません。
どれだけ資産が増えても満足することは無いでしょう。100万円あれば良いと思っていた頃があったといっても、それが1,000万円になれば1億円欲しいなと思うだけの話です。
与えられたカードを切って生きて行くしかないのです。若い内は人との競争で勝っては優越感に浸り、負けては悲嘆しながら成長すれば良いですが、年を取ると不毛な心理的負荷にしかならないことも多くなってきました。最後は「自分として最高」と思える人生にする他、選択肢など無いのかもしれません。
その意味では、恵まれなかった「運」に固執することなく、その中でも恵まれた「運」のカードを最大限使って、「自分にとって最高」の人生にしていくよう過ごしていくことが大事なのかなと思いました。
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