私の投資履歴書~インデックスを添えて~

モノクロさん家(チ)の運用記

全世界への長期投資で地味かつ着実に資産が形成される(予定)

資本主義、経済成長を利用するというスタンス

本業が大変な事もあって最近投資に向き合えておりませんが、今一度投資を勧めていこうと思います。

 

人生の一部としての投資

投資が独立した存在ではなく、仕事や家族といった自分の人生を構成する要素の一つと捉えるのが最近の私のスタンスです。本業での仕事も通じてその思いを強くしていますが、あくまで自分の人生を豊かにする一つの要素であると捉えることは私にとって大事なターニングポイントでした。

この先どこまで資産が増えるのかは分かりませんが、ここ10年の伸びが続かないまでも、一定右肩で今後も世界が成長するのであれば、長期的に見てそう変な結果にもならない可能性はそれなりに大きかったりします。

一撃当てられるに越した事はありませんが、そうした営みで悉く失敗してきたため、あればラッキーくらいで基本は慎重かつ地味な投資を続けていく他ないだろうと思っています。

 

資本主義、経済成長を利用する

その時々の感情や環境によって物事の解釈は変わるものですが、今の私は比較的リベラルというか、直接的にこういった用語に当てはまるわけではありませんが、大きな方向感として非競争、非資本主義、非経済成長みたいな後ろ向きな感覚が強い感じがします。一定競争に疲れてしまった感や家族との時間が充実していることから断片的に今そう思っているだけの可能性は高いのですが、少なくとも今はそうであると自覚をしています。

しかし一方で私の資産は投資の恩恵を受けており、間接的な収支管理は当然ながら、直接的にも株価の上昇によって資産の底上げがある状態です。それを思えば、競争はやめよう、資本主義はダメ、経済成長なんか求めるのはやめよう、なんて言葉は言う資格がありません。

モノの価値観はどうであれ、今の私にとって投資の力抜きに自分の人生を豊かにする選択肢が思い浮かびません。一撃を当てることではなく、緩やかであっても確実に投資の力を味方に付ける必要があるという認識です。

そうなると、非常に自分勝手で都合が良いのですが、他人の競争や欲望の追求は煽りながらも、それによる経済発展、経済成長にしれっと乗っかるという恥知らずなスタンスが一番しっくり来るのです。時期的に後ろ向きとはいえ、元来資本主義を信じているタイプですし、国にどうにかしてほしいとか他人の財布に手を突っ込んで自分がホクホクしようとは思っていません。ただ自分が資本主義の競争のいちプレーヤーとして競争するのに若干疲れたというだけです。

あまり人様に言えるスタンスではないので、しれっとそういう思いで投資をできればと思っていますが、資本主義がダメだという気持ちをストレートにぶつけるのではなく、利用してやろうというずる賢い手段も結構有用だと思うのです。国が変わることに声を上げる人もたくさんいますが、しれっと波に乗っかり他人の競争による利益のおこぼれを貰うという戦略も良いのかもしれませんね。

 

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資産形成というスキルを習得することについて

最近仕事が忙しく投資から離れていますが、改めて資産形成のスキルは何かと有用だと思う次第です。

 

何者かに頼らないという選択

私のような一般人にとって、資産形成のスキルとは収支を管理するという事であり、余剰資金を適切なものに投資することと要約されます。そしてより重要なのは前者の収支管理で、後者の投資部分は追加的なスキルであると思います。

まだ到底足りない資産額ながら、振り返ればここまで来ていたかといった感もあり、インデックス主体の私としては投資による資産額増よりも入金してきたことの要因が大きく、要は今までよく収支管理をしてきたなという点に思いが至るわけです。

年金を含む将来不安、年功序列の終身雇用崩壊などが叫ばれて久しいわけですが、この先国が、勤め先が自分の人生をどうにかしてくれるということを今以上に期待するのは得策ではないように思われます。言い古されていますが、実際改めて考えてみてもそうなのだと思います。

今の高齢者が医療費改革に反対するように、自分も年を取れば若い人にとっては既得権者となり、自分の利益保護を大優先に人生を全うしようとするでしょう。その時持たざる者であるならば、既得権の保護に対する熱量はもっともっと強くなると思います。

勿論、どこまで行っても誰かに支えられて生きていく訳であり、金があるからと言って誰にも頼らずに生きているんだと言えば実に横柄な勘違いです。それまた老害と言われるわけですが、国や社会に文句を言うしか方法が無いという状況に自分を追い込まないように、今から資産を作っておく活動をするのは人のためにもなるように思います。

収支管理をして、今を最大限楽しみながら、将来も楽に過ごせるようにしておこうという欲深い行動を資産形成のスキルは支えてくれるものです。

 

生き方をどうするかという選択

FIREできるほどの資産を得られるかは相場によりますが、広く言えば自分がどう生きていきたいかの選択をするという事でもあります。宵越しの銭を持たずに後悔なく生きるのも人生、今日を犠牲にしてでも未来の楽しみを増やして生きるのも人生です。

資産形成とは、何か別の場所に独立した存在としてあるのではなく、自分の人生という大きい枠組みの中に仕事や家族、趣味などと同じようにぽかんと浮いている一要素に過ぎません。そんな風に考えると、投資への向き合い方も少し変わるよな、なんて私は思い始めています。俺は何百万持ってる、私は何千万、おいらは億り人、なんてオークションみたいな競争とは無縁の発想になるわけです。

比較的窮屈な価値観の中で生きて来た私にとって、今後も取り組んでいく資産形成はその殻を最後破る契機となるかもしれません。階段を上っていくことしか生きる道はないと思っていたタイプですが、自分の人生って何だ?などと思うと急に他の道も見えてくるものです。

いずれにしても、有り余るほどの資産となるか、つつましく生きていくのに十分な程度かなど差はあれど、資産形成のスキルを持つことは大事なことと思います。その要諦は収支管理であり、余剰資金を生むこととそれを増やすことです。稼ぐお金は同じでも、それをどう使うかが人生の選択であるならば、自分の納得がいく、自分が幸せだと思うものにお金を使っていくのが良いのだろうと思うわけです。資産形成スキルの要諦は収支管理。これはどんな生き方をする上でも役に立つものかもしれません。

 

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