私の投資履歴書~インデックスを添えて~

モノクロさん家(チ)の運用記

全世界への長期投資で地味かつ着実に資産が形成される(予定)

投資を”投資”ではなく人生の一要素と捉えること

コロナ禍を経て少し価値観が変わった気がしています。あくまで個人投資家としての投資は、人生の一要素であると考えることは大事かもしれません。

 

コロナ禍で敏感になった感覚

コロナ禍を経て敏感になった感覚があります。著名人の死に心を結構痛めるようになりました。最近もありましたけど。

コロナで亡くなった方もさることながら、自ら選ばれる方も増えた印象があります。(あくまで印象であり統計的事実はわかりません。)特に後者の場合、なぜあなたのような人がその選択肢を取るのかと悩ましい気持ちになります。

彼ら彼女らは、お金も容姿も才能も社会的地位も人間関係も何でも少なくとも私よりは遥かに持っています。それでも苦しいと思う事があり、もう生きていけないと思うということ。そんなことを考えると何が幸福の土台となるか分からなくなる自分がいます。

こういう死に関して鋭敏になったのは子供ができたことにも由来すると思います。この子たちのためなら死んでも構いませんが、この子たちのためにも死ぬわけにはいかないというのが親心というものです。命の重みというか大切さというか、そういうものを形ある実感として感じられるようになったからこそ、人の死に対してある意味必要以上に感傷的になってしまうのかもしれません。

 

個人投資家の末路

ここ数年、一心不乱に投資をしてきました。個別株はともかく、投資サイクルが確立してしまったので、大まかにこの先どういう資産推移をするかのイメージくらいは付くようになりました。逆に限界点も大まかに理解できるようになります。10億円の資産を築くのは間違いなく無理でしょう。逆に100万円も資産が無いという状況にも人生を揺るがすトラブルが無ければなりません。

個人投資家という属性は当然機関投資家とは異なります。専業投資家でなければ本業でもありません。指数に打ち勝つ投資をすることが投資の世界では意義がありますが、個人投資家が人生で使用する資産を築くための投資にそんな必要は無いと思っています。それよりも実際に使える金額、つまり絶対額であり、1%のリターンでも年間500万円使えるのであればそちらの方がよっぽど意義があると思うのです。

投資の世界で投資として勝負をするのか、自分が使う資産を作るために投資をするのか、そんな事でもやる事は大きく変わるだろうと思います。少なくとも、私にとっては後者であって、世界一の投資家になることが目標でも理想でもありません。家族仲良く幸せに過ごしていくことが何にも代えがたい理想であり目標であります。

お金はあるに越したことはありません。10万より100万であり、1億より10億であり、100億より100兆が良いのは事実で、これは誰にとっても同じだと思います。しかし、それを得るためにやらねばならないことは異なります。毎月3万円のコツコツ投資で10億作るのは間違いなく無理です。100兆欲しいのであれば世界一の企業を起業するしかありません。そして金額が大きくなれば、基本的にはその分時間もかかるだろうと思います。(ただこれは金額とそこまでは比例しない)いずれにしても、得たいものの大きさで捧げるものは異なるという事です。

機関投資家は他人と比べられなくてはなりません。運用成績が他人より劣るファンドに存在意義など無いからです。でも個人投資家はそうではありません。たとえ1,000万円しか資産が無くても、その個人としての人生に後悔なく幸福に包まれているのであればそれに勝る何かなどあろうはずが無いのです。投資は人生の一要素であるというのが個人投資家としての行き着く先なのかもしれません。

 

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