物価高騰、賃上げ、増税、少子化対策、積極財政...色々な面で国に対する経済的な取り組みが注目を集めています。その中で自分がやるべきことは何なのかを考えました。
隣の家が年収何千万でも知ったことではない
私は人と比べる思考癖が強く、なかなか抜け出すことができずにいます。時に誇らしく思い、時に悲しみ、時に嫉妬し、の輪廻を生きています。投資界隈では高所得者が多く、インデックス投資をする場合でも月の入金力が50万円といった方も結構いたりします。上を見ればキリがない世界なわけです。
人との比較は自分が勝てる条件であれば優越感に浸れますが、世界は広いものでどれだけ所有するものを増やしても上には上がいます。もちろん世界長者番付の1番になれば、所有資産の観点ではトップになれます。しかし、比較対象を変えればまた別の劣等感に苛まれると思います。
投資の世界でも、こと個人投資家にあっては運用結果を他人と比較しないことが有用と書かれる場合が多々あります。私もそう思います。機関投資家と違い、自分個人の人生に関わるお金の問題であり、他人と競争して出し抜くことそれ自体に何か意味があるわけではないからです。
私も強い思考癖に絡めとられながら、それでも「隣の家が年収、資産何千万だろうが知ったことではない」というスタンスを繰り返し自分に投げかけています。しかし人間も弱い生き物なので、全く気にならなくなるかと言えばそういうものでもありません。
自分の資産拡大に懸命になること
国の政策において経済的な側面が注目を浴びているように思います。物価高騰、賃上げ、増税、少子化対策、積極財政...とお金にまつわるテーマはたくさんありますね。
その中で、年収300万円、手取り14万円といった比較的低所得な立場からの給付金や支援、大企業・富裕層批判があり、その反対側で所得制限廃止といった比較的高所得の立場からの意見もあります。それぞれ、左翼系野党の盛り上がりで前者が台頭し、最近では後者が大きく出現しているように思われます。
後者については当初、親の所得は子供に関係ないといった、どちらかというと実害よりも考え方や平等性、そういった概念的な不整合を正す意見が多かったように思うのですが、今やどこの党はアホだ無能だ、貧乏人が高齢者が、となかなか品性のない書き方も散見されるように思っています。
ふと引いて見ると、結局は立場の違いこそ正反対でありつつ、言っていることは変わらないという事です。要は自分に金を寄越せということの帰結を異なるアプローチで述べているに過ぎません。
ここではそれぞれの論についてどう思うか、正しいと思うかという事は脇に置きます。いずれにしてもあまり建設的な印象はありません。
国の政策によって当然に可処分所得は変わってきます。国民負担率は50%近いとのことですが、これの上下によって我々の手取りは変わります。当たり前ながら、国の政策の動向が全く自分と無関係であるとは到底言えず、その意味で声を大にして時に相手を罵りながらも自己主張することには意味があるかもしれません。
しかし、私たちが選挙によって送り出した政治家が決断することであり、直接的に私が反対だから、賛成だからということだけで世の中都合良くは動いてくれないのです。
結局の所、私にできるのは自分の人生の幸福が何であるかを問い続けながら、それを実現できるだけの”必要な”お金を手に入れるという事に尽きます。手に入れる方法として収入増、支出減、投資収益、国からの支援があるに過ぎません。
最近は主語が”この国は””この社会は”といった大きく抽象的なものが多い気がします。積極財政でも緊縮財政でも良いのですが、冷静に考えると、経済を学んだ訳でもないド素人の一般人が目を血走らせて金融政策や財政政策に物申す意味が分からないともいえるかもしれません。
全く政治や隣の家が関係ないわけではありません。マクロで見れば当然ですが、ミクロでも見ても影響は受けることでしょう。しかし私にとって重要なのは私”たち”の人生であって、この国や隣の家の人生や幸福ではないという見方もできます。自分ができることに手を打っていこうとした時、それは自分の資産拡大に懸命になることでしかないのではと思いました。
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