日本株は好調そうですが、米国株は軟調な展開が続いておりFIREで盛り上がった雰囲気が懐かしく感じます。残るのは焼野原でした。
FIREブームは何を残したか
あっちもこっちもFIRE、FIRE、本屋に行けばFIRE、FIRE、Twitter除けばFIRE、FIRE、色んな所で火が昇っていたのはついこの間のことでした。インフレに対する金利上げで相場は萎み、いつの日かFIRE卒業というバズワードが登場し、ひと悶着を経て落ち着いた感じがあります。FIREをするとボケるとか、FIRE卒業に対する揶揄とか、色々批判もあるのがこの界隈であり、一方で高配当を中心に熱心な盛り上がりも継続してあるのが特徴かなと思います。
私自身熱心なFIRE論者ではないわけですが、閉塞感溢れるこの時代にFIREブームが残した遺産にも価値があるとは思っています。
1.資産形成へのフォーカス
銀行預金一辺倒、それどころか預金すらない人がたくさんいる中で、資産形成することの大事さを気づかせてくれる良い入口だったのではと思います。これを経て、家計が改善したり収入をアップさせたりしていれば、それは非常に価値あるものだと思います。預貯金0の無資産状態とは雲泥の差がこれからの人生で重要なファクターにはなると思います。
2.資産所得の可能性
資産所得で生活するという概念にハッとさせられた人は多いのではないかと思います。会社員として働いて伸び続ける年金受給開始年齢と定年退職に沿っていくだけが人生ではないのだよ、という気付きは非常に価値あるものだったかもしれません。
3.自分への問い
FIREして何するの?そんな問いから自分がやりたいことって何だっけ?という問いを自分に投げかけ始めた人も多いのではないでしょうか。コロナ禍も相まって、自分の人生を問い直す良い教材になったのかもしれません。
FIREの枝葉は燃やしてしまえ
●●FIREという分類がたくさんあるようです。色々派生していく中で、夫婦の内片方がFIRE、パート主婦がセミリタイア、など状況的にどういうことなのかすんなり理解できないものも含めて、どういう状況のFIREかを様々定義することで色々な種類が誕生しました。
これはFIREブームが残した遺産の一つだろうと思います。
突き詰めると、経済的自由とは圧倒的な資産による金銭的強制からの解放でしかありません。その他の派生はこじ付けであり、本来的には該当しないだろうと思えるのです。
若くして起業で成功し、100億200億それ以上の巨額を会社売却などで手に入れた、資産収入>生活費の永続的状態しかFIREではないというのが本質じゃないでしょうか。そこにセミリタイアもクソも何もないのだと思います。
セミリタイアはセミリタイアでしかないし、相場の急変に安心できないレベルの生活費と資産の乖離ではなんら自由ではありません。極論、1兆円10兆円持っていて、相場が崩壊しても全く生活に支障がないというのが自由なんじゃないかと思うのです。
いずれにしても、FIREそのものの批判などどうでも良く、最終的には自分がどう生きていきたいかの問いなのであり、ボケるとかボケないとか人から言われることは関係ないという事です。それと同じくらいどういうFIREかと定義づけることにも何ら意味が無いように思います。肩書として”FIREしている”と言いたいだけで、その実ニートでも何でも良いのだから...
FIREブームが残したのは人生観への問いかもしれません。そんな壮大な妄想です。
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