私の投資履歴書~インデックスを添えて~

モノクロさん家(チ)の運用記

全世界への長期投資で地味かつ着実に資産が形成される(予定)

人生の”上がり”を見つけ出すのはそんなに簡単ではない

資産●万円作れば人生勝ち、などというパワーワードもありますが、人生の勝ち、あるいは上がりに至るのはそんなに単純ではありません。

 

人生の成功とは?

一昔前、それなりに若く、本業でもキャリアを積み重ね、株式投資でも一定成功している(ように見える)投資家さんが俺が人生成功した方法的なものを書かれていたのを目にしたことがあります。

私と同世代かなと思いますが、この年にして人生を成功と言い切って、それに留まらず俺の成功法則!とでもいうように他者へ発信している様子に凄いな(マイナスな意味で)と思ったものですが、こと人生における成功や上がりに至るのはそう簡単でもないだろうと最近は改めて思っている次第です。

エリート街道まっしぐら、海外勤務で年収もあって、投資もしちゃって資産たくさん。妻と子と仲睦まじく、俺人生の勝ち組!そういう世界線はあくまで断片的に”今この瞬間”を切り取っての写真でしかありません。

キャリアに邁進している日中の時間、奥さんは不倫しているかもしれません。子供は学校で悲惨ないじめに遭ってるかもしれないし、別の会議室で経営陣はレイオフのリストに自分の名前をまさに書いている瞬間かもしれない。何でもいいですが、未来永劫成功である切符なんてものはどこにも無いという当たり前の現実を無視してはいけないように思うのです。大体、株式投資しているのであれば不意に訪れる爆沈相場が存在することはよく知っていることだろうとも思います。

 

不確実性に満ちた将来

明日死んでしまう可能性が0ではないこの先の将来、確約された切符を得ることはそんなに簡単ではないのだと思うのです。難病になるかもしれないし、障害を持つ可能性だってあります。そういうことが不幸ということではなく、総じて生きていることそれ自体が非常に脆い土台の上に成り立っていることを改めて見つめないといけません。

翻って、資産が1億円あれば人生上がりというのは非常に短絡的であります。人生を構成する要素の内、お金が占める割合は決して小さくないと思いますが、それでもそれは構成要素のたった一つであることに変わりはありません。

当たり前にあることに対する幸福というのは日々感じづらいものです。それ以外のものを今以上に獲得していくことで幸福感を感じる訳ですが、最終的に死があることを考えれば最後残るものはきっと上積みしていった幸福ではなく、元来目の前にある何でもない日常そのものかもしれません。

私も日々感情が振り回されることに疲れるのですが、ふと原点に立ち戻るような感じで死生観に至ると、本当は何に心を割くべきなのかが分かるのではないかと思います。投資ひとつで人生を包括して評価できるほど、人生は浅くも小さくもないだろうと思います。

 

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