改めて資産形成における年収の重要性を感じています。
資産形成は年収ではない
今年大きく年収が落ちて、改めて資産形成に与える年収の影響の大きさを痛感しています。日常生活は何も変わりませんが、資産形成における入金のペースは目に見えて落ちてしまいました。年収減を余剰資金で吸収したような形です。
こういう時の対処方法として色々あるだろうことは別の問題としてあるのですが、やはり資産形成において年収は重要なファクターだろうと思うのです。
FIREの文脈では、重要なのが絶対額の年収よりも貯蓄率であることが言われています。年収が1億円あっても、日々の暮らしでそのほとんどを使っていれば何も残らないという極めて単純なことを言っている訳ですが、言い換えれば経済的な意味では生活のレベルを低く保ち、年収との差額を多く確保すればより早くFIREできるという事に過ぎません。
また、年収1,000万円でも貯蓄が無い人、みたいなエピソードトークが定期的に流れてきたりもしますし、年収300万円で資産●千万みたいな話もよくあります。フローとしての年収が低くても金持ちになれるんだというシンデレラエピソードで一定の魅力はあるのでしょう。
しかし元も子もないのですが、年収が高いに越したことは無く、年間100万円貯めるのでもそこに至る苦労が雲泥の差であることは事実なんだと思います。私は年収を下げてみてこういう基本的なことを改めて痛感したわけです。
見たくないものを見る勇気
旧来的な意味で、起業して会社を売却したようなリタイア像ではなく、一般的なサラリーマンが投資を通じてリタイアするという像が確立された現代において、元来嫉妬等のマイナス感情が付きまといがちの年収に対する想いが、そんなの無くてもお前より資産を持っているという反逆の形で現れるような風潮も大なり小なりあるかもしれません。
そもそもサラリーマンによるFIRE自体が「持たざる者の反逆」のような側面があり、複数の子供がいる家庭より一人っ子の家庭、既婚者より独身者、と身軽であるほどFIREというのはハードルが下がってくる性質のものでもあります。
ある種のシンデレラストーリーを貴ぶ意図もそういう事にあるんだろうとも思いつつ、やはり理想は理想として自分の見たくない真実にも目を向けて、それでも自分の人生なんだと受容できる心の成長が大事なのかもしれないと思うのです。こういうことは投資に限らず生きていく上で常に苦しめられることでもあります。
お金の量という極めて横ぐしの刺しやすい指標がある投資の世界で、負けることや劣ることを受容するのは極めて難しいですが、職業投資家、専業投資家でない私たちにとって、本当に重要なのはそういう物差しに没頭することでも、目を背けることでもなく、直視した上でそれでもこれが自分の人生なんだと受け入れる心の成長なのかもしれません。
↓ポチっと応援よろしくお願いします↓