私の投資履歴書~インデックスを添えて~

モノクロさん家(チ)の運用記

全世界への長期投資で地味かつ着実に資産が形成される(予定)

お金の勉強に欠落しているもの

個人的には「お金の勉強」というキーワードは好きではないのですが、欠落している要素があるように思います。

 

お金の勉強=蓄財の勉強?

巷でよく聞く「お金の勉強」は基本的に蓄財の勉強のように思われます。節約はどうやってやるのか、ポイ活なども含む収入の上げ方、投資の仕方などです。そういったものを「お金の勉強」と呼んでいる気がします。

欠落している要素は「お金の使い方」だと思います。あたかもお金は誰もが使えるし、何より今まで使ってこれたから資産が無いのだという感じですが、実際にはお金の使い方がマズいから貯まってこなかったとも言えます。

ここで言う「お金の使い方」は自己投資だ、みたいな意識高い話ではなく、純粋に消費に関することです。浪費をいかに消費にするか、とも言えます。それって倹約に含まれるよね、と言えばそうなのですが、今を幸福に生きるという視点ではどこにどうお金を使うかは案外戦略性があり、単純に使わなければ貯まるという蓄財の話とは少し違うベクトルの話です。

 

資産の出口

資産形成、蓄財の最終出口は何かというとそのお金を死ぬまで使う事にあります。子供や子孫のために残す強い意志が無いのであれば、普通は自分が老後使って死んでいくためのお金以上ではありません。

つまり、資産形成の先には「お金を使う事」が待っています。ここは皮肉とも言えますが、お金を使わないことで貯めた資産を使うというフェーズになり、実際、蓄財が得意な人はどう使っていいか分からないみたいなことも実際にあるようです。

無駄なお金の使い方とは言うものの、結局何が無駄かは使ってみなければ分からないこともあるだろうと思います。1泊10万の旅行とか、高級車とか、何でもいいですが何が無駄かは金額では測れません。無駄かどうかには自分の幸福感も関わるからです。

そうなると、消費や浪費をしないと使い方は学べないし技術も向上しません。1泊10万円の宿泊に潜む何か”価値あるもの”が自分の人生にとって幸福に繋がるものかは泊まってみないと分かりっこありません。ただ使うだけなら誰でもできるかもしれませんが、何にどれだけ支出すると幸福を最大化できるのかは考えながら身に付けないといけないと思うと、お金の勉強と称して蓄財だけ学ぶと余計な金額の蓄積に人生の時間を使っただけ、という結果にもなり得ます。

それを合理的と言うのかは分かりませんが、今や子供(=教育費)が無駄とまで言われる時代です。正直、自分が生物学的に生きていく以外の支出を無駄としてそれ以外を全て蓄財すれば人生幸福というのは短絡的であり視野狭窄だとも思います。

もちろん子供を産んでみないと分からない、は流石に無責任なのですが、お金の使い方にも学びが必要であり、その学びなくしては資産ができても上手く活用できずに死んでいくことになってしまいます。貯めることと使うこと。その両方を身に着けて、最大限に資産を人生の幸福につなげていけるようにしたいものです。

 

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