私の投資履歴書~インデックスを添えて~

モノクロさん家(チ)の運用記

全世界への長期投資で地味かつ着実に資産が形成される(予定)

人生という大きなものの中にあるFIREや投資や仕事

投資で資産を作れば人生勝ち、仕事で成功すれば人生勝ち。いずれも正しいこととは思いません。主従関係は投資や仕事が下です。

 

FIREムーブメント

FIREは一種のムーブメントとなり、あらゆる本やコンテンツが世に放たれました。仕事をしなくても生きていける。概念として私は大きな価値があったと思っています。

バブルの後遺症からか投資に億劫で、預金しても金利は0として計算されるような国で生まれ育った私たちには、非常に思う所の多い概念の登場だったと思います。

 

労働は悪、不労所得は正義

当初、収入の8割を投資に回して、から始まる超倹約生活による資産形成が全盛を極めましたが、どこかで今も大事という事に気付いてより現実的な視点からのFIRE論も増えてきたように思います。

それでも労働は悪いもので、不労所得があることが正義のような話は根強くあります。社畜と罵り、あるいは卑下し、奴隷からの解放と言わんばかりの論説です。しかし、誰にとっても労働は悪いものであるわけではありません。嫌なことを言えば、そういう楽しい仕事、達成感のある仕事、欲求が満たせる仕事に出会えなかった悲しい人たちの物の見方という言い方もできます。別に私自身がすべて満たせる仕事に就いている訳でもないですし、彼らの言う論にも同意する所はありますが、見方を変えればそういう言い方もできるという話です。

私はロールモデルというのがあまり好きではありません。会社でも耳にする単語ですが、本来的に自分の人生の生き方に正解などありませんし、誰かをトレースした生き方で自分も幸せになる保証などどこにもありません。何者かになる、誰かのようになる、さすれば自分にも幸福が訪れるという意味でのロールモデルにはあまり賛同できません。

その意味で、FIREをすること、資産を作ること、不労所得を最大化すること、労働収入を最大化すること、今お金を使うこと、未来のために蓄財して節約すること、そのどれもが本当に自分にとって幸福に繋がるかは分からないのであり、FIREが正解、資産を作ることが正解、そういう断言は短絡的だと思ったりします。

 

自分で自分に責任を持つ時代

今、自律的なキャリア形成などとよく言われます。昔のように、就職すれば社会人人生はおろか、企業年金等で老後まで面倒を見て貰えるといった世界は崩壊してしまいました。誰かに自分の選択を任せることで幸福になれる、故に転勤でも異動でも受け入れて甘んじて働き続け、多少の不条理には目もくれず、歯を食いしばって我慢する必要が無い時代とも言えます。(無論今でも一定そういう我慢は必要です。組織人として。)

私はFIREを生き方の選択の一つとして捉えています。定年まで働くのも、生涯現役でいることも、今を目いっぱい楽しむことも、将来に備えまくることも、どれも生き方の選択の一つでしかありません。そのどれもが正解であり、不正解です。唯一、自分が死ぬ時に幸せを感じられるか、だけが答えだと思っています。

自分の幸福を追求する上で、仕事で成功することが必要ならそれに邁進するのが正解、お金が必要なら投資するのが正解、働かない状況が必要なのであれば倹約や投資が正解、となるかもしれません。いずれにしても「他人からどうこう言われる筋合いはない」ということです。

親ガチャ、増税など、他責が蔓延し、恵まれていないことや人より劣っていることを他人のせいだと声高に叫ぶのが当たり前の時代にもなりました。恵まれていないこと、人より劣っていること、そんなことがむしろ強みになっている感すらあります。しかし、これから自分のことを面倒見れるほど余裕のある他者がたくさんいるとも思われません。自分がどう生きるかを自分で決め、そのために必要なことは自分で獲得していく、他人と比べてそれがどうかではなく、自分がこう生きたいのだという事を貫徹することが自分に責任を持った生き方になる気がします。あなたはあなたであり、私は私という少しドライである意味自分以外も許容するウェットな世界かもしれません。

 

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