私の投資履歴書~インデックスを添えて~

モノクロさん家(チ)の運用記

全世界への長期投資で地味かつ着実に資産が形成される(予定)

支出における価格と価値のコントロール

ふと思った事をつらつら書き残します。支出における価格コントロールと価値コントロールについて。

 

支出における2要素

悶々と考えていまして、支出においては価格コントロールと価値コントロールの2つの視点があるのかもしれないと思いました。価格コントロールは所謂節約的な文脈であり、価値コントロールはいかに資金を投下するかという質の文脈にあります。

効率的市場仮説では価格=価値となりますが、現実世界は株に限らずそうなってはいません。通常割安あるいは割高な価格で価値を手に入れるか、同額であっても引き出す価値が下振れるか上振れるかの交換になるように思うのです。

そして通常、価値は変わり辛く株で言うと本質的価値や内在価値となりますが、通常の支出、特に生きていくために必要ではないプラスオンの支出については価値が人、時期、環境によって変動するように思うのです。

通常、価格<価値の交換ができた時に満足度が高まる訳であり、価格コントロールの場合は価格を下げることでギャップを作り、価値コントロールの場合は価値を引き上げることでギャップを作るという点で違いがあります。

 

価格コントロール

所謂節約で語られる視点。同じ価値の物を割安な値段で手に入れよう、あるいは価値が小さいものについては交換そのものを辞める営みです。

基本的に価値は変わり辛く、また自分の都合で変えられるものではないので、不変とした場合の価値に対して1円でも安く済ませることで価格<価値の状態を作り出します。特に生活必需品などでは強いかもしれません。いずれにしても価値を自分でコントロールできない場合には価格コントロールで満足度を高めるしかありません。

 

価値コントロール

一方、価値コントロールは価格ではなくその金額から引き出す価値を上げる営みです。

基本的に価値は自分都合で弄れない場合が多いのですが、人間くさい価値観がにじみ出る支出の場合には自分都合で価値を変動させることが出来るのではと思いました。

その他、旅行などもそうかもしれません。同じ金額、同じグレードの部屋であっても、一人なのか複数なのか、相手との関係性、年齢、家庭のフェーズ、そういう要素次第で素晴らしい体験にもイマイチな体験にもなりえます。

DIE WITH ZEROの世界観もこちらにあるように思います。

 

 

投資も広義の支出

投資を通じて通常の支出までも考え方の影響を受けるのは必然なのかもしれません。欲しいものを欲しい時に買っては損をするという経験、本当にこの銘柄には1万円の価値があるのかという疑念との戦い、割安で手に入れた時の価値リターンの大きさ、そういう酸いも甘いも経験しながら身に着けた金銭感覚は他の領域にも発展せざるを得ません。

そもそも預金も含めて投資は広義の支出であると考えれば、バナナを買うのもAppleを買うのも同じことではあります。ともに手許現金を交換することで対象物を手に入れる営みだからです。

いずれにしても、多くの場合は価値を自分都合で動かせないために価格コントロールに全振りすることになりますが、人生を豊かにするという観点では価値コントロールで適切な時に適切な金額を容赦なく使うという事も大事な発想になるのではと考えています。結局、誰しも不幸なまま死にたくはない訳なので、幸せになることが人生の目的ではないというクリエイターもいますが、基本的には何らか満足感を持って死んでいきたいことを否定する人は少ないでしょう。その意味で、お金の使い方に思考を巡らすことは非常に有意義であると思うのです。

 

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