私の投資履歴書~インデックスを添えて~

モノクロさん家(チ)の運用記

全世界への長期投資で地味かつ着実に資産が形成される(予定)

投資をし始めて老後の期待値を上げるのはバカげている

一般的な所得の人がインデックス投資による長期投資を目指し始めると老後の期待値が上がるように思いますが、一定程度それはバカげていることにも見えます。

 

インデックス投資を始めると高まる期待

投資をした方が良いのではないか。そんな気持ちから投資を始めるにあたり、今の時代ググればインデックス投資に行き着くのはそんなに時間がかかることではありません。凡人の自分にとっての最適解はインデックス投資だと理解し、市場平均のリターンで資産を増やしていこうと覚悟を決めるわけです。年率7%なのか5%なのか、想定される平均リターンが頭にあれば複利シミュレーションを回し始めます。自分は毎月何万円投資できるだろう。それを定年まで続けると...と計算を進めていきます。X年後にはこんな金額になるのか、とモチベーションが高まり、Twitterをチェックしながら投資を続けますが、やれアッパーマスだ、準富裕層だというアカウントの多さに自分の資産額がゴミのように感じてきます。もっと頑張って毎月の入金を増やしたらどうなるのか、とまた複利シミュレーションを回す日々がやってきます。もう1万円、もう1万円と毎月の投資額を増やしていき、自分が満足できる到達資産額になるまで繰り返し計算をしていく...

インデックス投資の界隈にありがちな話題は20年30年後に俺たちは裕福になっているんだという文脈の話です。今投資をしていない人間はダメだと言わんばかりに自分たちの誇り高き金融リテラシーに酔う訳ですが、こういう過程で自分の老後に対する期待値が上がって行く側面がありそうです。老後の楽しみのために今頑張って投資をしている。それが最近ではFIREになっていたりしましたが、広い意味では老いゆく未来の自分のために頑張るという話で相違ありません。

長期投資を目指すとどうしても明るい数十年後の未来に期待が高まります。年数を伸ばせた複利の威力は高まるわけですから当然のことかもしれません。

 

今を生きているという事

道端で老人を助けた時に思った事があります。

この時思った事の感覚は私の中で結構強いものでした。どんだけ金があっても無意味になることがやっぱりあるんだという事です。正直この時の老人が1兆円持っていても羨ましいなんて思えません。使える先があまりに限られているように思うからです。

長期投資の名のもとに未来の自分への期待値を上げ過ぎているのかもしれません。老後のことを考えて金を貯めるなんてバカらしいという意見も一般的には一定あると思いますが、誇り高き金融リテラシーを有するインデックス投資家にとってはそんな意見こそ馬鹿者であり、自分たちは長生きしても裕福に暮らしていける、貧困に陥ったお前たちをあざ笑いながら、という印象を受けたりするものです。

しかし、そんな未来のためにお金を貯めて、その前に死んだらどうするの?という意見は非常に本質的です。今日使えたお金を未来に先送りした結果、その未来が来る前に死んでしまう、あるいは体の自由が利かなくなる、そうなれば先送りした意味は何だったのかと考えざるをえません。

私たちは今を生きています。これは日々忘れていますが、非常に大事な事実のように思われます。最終的には現在と未来のバランスを取って、ということにまとまる訳ですが、本当にこの今と将来のバランスについて考えることが一番大事なように思います。今あるものが未来にもあるとは限りません。少なくとも、今の状態が未来も続くことはありません。夫婦仲も、子供の年齢も、健康も、意欲も、そして命も、私たちが目指す10年20年30年後には今の状態ではないのです。

そんなことを思う時、”誇り高き金融リテラシー”といった上辺の偏ったものの見方で行動を貫徹するのも時に危ないと思ったりしています。

 

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