日本株の今年最後の取引が終了しました。それなりの高値まで到達しまして、日本株にとっては良い年だったのではと思います。ワイドショーでは街中のインタビューで生活実感のない株高と言われておりました。
いつまで生活実感を得ないつもりか
毎年というか、株の話と生活実感は基本的に乖離というか全く連動しないものとして語られる前提で報道されています。株価の上昇では金持ちだけが得をし、一般市民に恩恵など全くないのだという前提であります。
投資家界隈では年収の多寡に依らず株高の恩恵をもろに受けている人だらけなのが当然なので、私も世間的な感覚からはズレています。そして何より投資をしたから儲けられるという事でもなく、むしろ損することの方が頻出するので誰彼構わず投資した方が良いともいう気はないものの、毎年毎年、節目節目で株高と生活は関係ないと言い続けるのもどうかなと言う気持ちはあります。
厳密には年金やDCなどなど、株高故に誰しも得をしている場面もありますが、そんなことも分からないくらい無頓着であるというのも一種の機会損失かなと思ったりします。
斜に構えず勝ち馬に乗れ
結局、斜に構えているんだと思うんですよね。株なんて、投資なんて、というやつです。勿論斜に構えず儲け話に全ベットして詐欺に掛かるのも頻発しているので、態度としてどちらが正しいのか甚だ疑問ではありますが、それでも慎重に自ら学びながら前に進めるのであれば投資をして素直に勝ち馬に乗るような素直さは大事だと思ったりするのです。金持ちだけが、といつまでも言い続けた所で何も現実は変わりませんしね。金持ちが得しているとか卑怯だと思うなら、自分もそっち側に回って稼げば良いんじゃないの、というシンプルな論理です。
閉塞感が漂っていて、高所得者や大企業、高齢者等々に非難の矛先を向けては自分たちに利益誘導という名の略奪を考える風潮がありますが、閉じこもって貧乏貧乏言っていないで、自分のコントロールできる領域で足掻いて人生切り開いていく方が私は好きではあります。
日本は給与が上がらない、という話に自分の給与を繋ぎ合わせるのも一つのスタンスですが、結局自分の給与なんてものは国とは関係なく上がりもするし下がりもする訳で、実際問題、会社ごとに決められた給与テーブルに沿って金額が決まっている以上のことはありません。
いずれにしても、斜に構えて時にマクロ環境のせいで自分は苦しんでいると言い、別の局面ではマクロ環境は自分とは関係ないと言うような都合の良い斜に構えた態度は何も良いことをもたらしてはくれないのだと思います。
資本主義が好きだろうと嫌いだろうと、お金でできることも多くあるのは事実であり、それを稼ぐことも自由なのだから、思想的な縛りを自分に課さず、得している奴がやっていることを自分もやっちまうというような態度も時には大事かなと思うわけです。
稼いだ者勝ちかは分かりませんが、稼がないより稼いだ方が良いに決まっているとは思います。
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